
彼の部屋に広がる秘密の書庫。私の心に生まれた違和感と、たどり着いた答え。
扉の向こうの世界
彼の部屋に入った瞬間、私は軽く息をのんだ。
整然と並ぶ本棚。だけど、その背表紙はどこか特別だった。
艶めいた装丁、見覚えのないタイトルたち。
──アダルトな本が、たくさん並んでいる。
それは、私がこれまで見たことのない彼の一面だった。
別に、一冊や二冊ならわかる。男の人なら、そういうのを持っていることもあるでしょう。
でも、こんなにたくさん?
まるで、彼の"趣味"とでも言うように、堂々とそこにある。
私の中に、ふわりと何かが広がる。
それは驚き? それとも、嫌悪感?
「……すごいコレクションね。」
努めて平静を装ったつもりだったけれど、
自分の声が少し強ばっているのがわかった。
「まあね。」
彼は、まるで何でもないことのように笑う。
――ああ、この人にとっては"普通"なんだ。
それが余計に、私の中のもやもやを大きくしていく。
私だけじゃ足りないの?
「こういうの、よく読むの?」
思わず聞いてしまった。
彼は軽く肩をすくめる。
「うーん、たまにね。」
たまに、の基準は?
私と会わない夜? それとも、私と一緒に過ごした後?
心がざわめく。
私だけじゃ足りない?
彼の欲を満たすには、私は不完全?
本の背表紙に指を這わせる。
その瞬間、私は彼の"見ている世界"に触れた気がした。
ページの向こう側。
そこにいる"誰か"。
私が知らない時間。
私が知らない彼。
「……なんか、嫌だな。」
その言葉は、思ったよりもあっさりと口からこぼれた。
「嫌?」
彼が私を見る。
その顔は、驚いているような、でもどこか優しいような。
彼の言葉、私の気持ち
「なんていうか……私以外の人を見てるみたいで。」
正直な気持ちだった。
彼は静かに頷いた。
「そっか。」
短く返した後、彼は少しだけ考えてから言った。
「でもさ、これって"現実"じゃないんだよ。」
「……現実じゃない?」
「うん。例えば、君が恋愛映画を見たとして、その登場人物と付き合いたいって思う?」
「それは……思わないけど。」
「それと同じで、これはただの"空想"。本の中の世界。」
空想──。
その言葉を、私はゆっくりとかみしめる。
確かに、私だってドラマや映画で素敵な俳優さんを見て「かっこいいな」って思うことはある。
でも、それは現実の恋愛とは別物だ。
「俺が欲しいのは、君だよ。」
彼の手が、そっと私の指に触れる。
あたたかい体温が、私の心を少しだけとかしていく。
二人のためにできること
「……でも、やっぱり気になるの。」
私はまだ、完全に納得できたわけじゃない。
「そっか。」
彼は少し考えてから、小さく微笑んだ。
「じゃあ、もし君が嫌なら、俺も考えるよ。」
「え?」
「全部捨てるとかは無理かもしれないけど……見えないところに置くとか、減らすとか、できることはある。」
彼の言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
私の気持ちを、ちゃんと考えてくれる人なんだ。
私の「嫌だ」という気持ちを、ただのワガママとして片付けない人なんだ。
「……ありがとう。」
私はそっと、彼の手を握る。
本棚の背表紙は変わらないけれど、
その向こう側にいる彼のことを、私はもう少し信じてみてもいいかもしれない。
私の気持ち、彼の気持ち
彼が持っていた本。
それは、彼の"趣味"の一部で、私とは別の世界のものだった。
でも、私がそのことに違和感を抱くのも、間違いじゃない。
「私が嫌だと感じること」
「彼にとっては当たり前だったこと」
この二つを、どこで折り合いをつけるか。
きっと大事なのは、"どちらかが我慢する"ことじゃなくて、
"二人の間で納得できる答えを見つける"こと。
私は、彼に正直な気持ちを伝えた。
彼は、それを受け止めてくれた。
それなら、私ももう少しだけ、彼を信じてみようと思う。
背表紙の向こう側には、知らない彼がいた。
でも、その先にいたのは、やっぱり私が好きな"彼"だったから。